ぴゅーもんブログ

カナダ生まれの日本育ち白イルカ(ベルーガ)のぬいぐるみぴゅーもんのブログです、ハワイにもいったよ〜(不定期のんびり更新)

ブライアン・イーノのインタビューにインスパイアされて

私が最初に聴き始めた音楽は、日本に住んでいれば当然のことながら、歌謡曲や、テレビのCMソングにオーソドックスな童謡などからです。ある時期、洋楽を聴き始めて直後、直感的に(というか戦後日本的に?)、洋楽、それもポッスよりもロック的なものがその時点で優れているものであるという考え方に支配されました。当時は現在よりも音楽のジャンルと言うものが明確に分かれていて、ロックを聴く人は歌謡曲を聴かないといった風潮がありました。音楽の中にヒエラルキーが存在していたんですよね。

音楽は以前ほどはイデオロギーの重荷を背負わされなくなった。例えば、ABBAを好きな人は政治的に格好悪いとされたり、ベルベット・アンダーグラウンドを称賛するのが不可欠だとされていた頃のことを思い出すよ。そういった多くのものは過ぎ去ったし、過ぎ去って良かったと思う。

http://www.timeout.jp/jp/travel/aroundworld/article/4

そう、こんな時代ですね。でも、パンク&ニューウェーブのムーブメントの流れの中で、そのような考え方は消えて持たないようになってきました。そのきっかけとなったのは、近田春夫オールナイトニッポンでした。そこで、パクリ歌謡曲や、60年代当時をキッチュに楽しむようになったのです。でも、その時点では、そのような見方をしていること自体、スタイルに解放されているとは言えない状態でしたね。ですから、現在では大好きな70年代アイドル歌謡もやや後追いで聴くようになったのです。それでも、そのようなスタイル(それ自身スタイルなのか....)を続けているとキッチュに見下すはずの基準の軸の場所が自分でもよく分からなくなって面白ければOK度が上がってきたのです。80年代に入ってこのへんの事を、スーザン・ソンタグの『反解釈』を良くわからないなりに読んだりして考えたものでした。

私の娘たちはそれぞれ50,000枚のアルバムを持っている。ドゥーワップから始まった全てのポップミュージック期のアルバムだ。それでも、彼女たちは何が現在のもので何が昔のものなのかよく知らないんだ。例えば、数日前の夜、彼女たちがプログレッシブ・ロックか何かを聞いていて、私が「おや、これが出たときは皆すごくつまらないといっていたことを思い出したよ」と言うと、彼女は「え?じゃあこれって古いの?」と言ったんだ(笑)。彼女やあの世代の多くの人にとっては、すべてが現在に属していて、「リバイバル」というのは同じ意味ではないんだ。

http://www.timeout.jp/jp/travel/aroundworld/article/4

いまの若い人はもっと感覚がフラットなんでしょうね。

BGM
近田春夫 / エレクトリック ラブ ストーリー

鈴木いづみコレクション〈3〉 SF集(1) 恋のサイケデリック!
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反解釈 (ちくま学芸文庫)
発売元: 筑摩書房
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おすすめ度 5.0

アマゾンレビューに『50年近くを経た現在、当時は萌芽的であったキャンプ的感性/サブカルチャーは、消費文化の拡大の中で支配的な文化様式へと格上げされた。「キャンプが支配的になったとき、キャンプはキャンプたりうるのだろうか」。』とあるように、現在また機会があったら再読してみたいです。


だらだら書きましたか、要は、直感的にいいなと思ったものが良いわけですな。あと付けで理屈っぽく楽しむのも好きですけどね。