ぴゅーもんブログ

カナダ生まれの日本育ち白イルカ(ベルーガ)のぬいぐるみぴゅーもんのブログです、ハワイにもいったよ〜(不定期のんびり更新)

大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝2012』総括

放送されていからだいぶたってしまいましたが、放送内容を忘れないうちに記録として総括しておきます(感想や気ずきはまた別のエントリーに反映出来ればとおもいます)。今回の放送は放送直後の再放送にも関わらずリマスター音源使用されるというある意味師匠らしいことになりました。ほんと油断なりませんね。滝壺は奥が深い。というわけで、リマスタ前版とリマスタ版の二種類を保存しておくのが正しいナイアガラーの在り方でしょうけど、なかなかそうもいかず、録音状態の都合で本放送と再放送のミックス状態で永久保存版といたしました。また、各放送時にトラックリストも今後の参考になりますので他のサイトから転記させて頂きました(いつなくなるかわからないですからね)。オリジナルの提供者には感謝です(NHKが公式をアップすべきですよね)。

2012-03-26 『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝2012』 第1夜 「ビフォー・エルヴィス」
2012-03-27 『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝2012』 第2夜 「エルヴィス・SUN時代」(1)
2012-03-28 『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝2012』 第3夜 「エルヴィス・SUN時代」(2)
2012-03-29 『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝2012』 第4夜 「エルヴィス・RCA時代」(1)
2012-03-30 『大瀧詠一のアメリカン・ポップス伝2012』 第5夜 「エルヴィス・RCA時代」(2)

大瀧師匠による編集後記です(おそらく消されちゃうので転記します)

アメリカン・ポップス伝 PT1(2012.03.26-30)
 NHK-FMで3・26から5回連続で放送しました『アメリカン・ポップス伝 PT1 』の“編集後記”です。(4・2ー6に再放送されました)
 ・最初は“戦後(1948.08)”から始める予定だった。
 『日本ポップス伝』は“明治から”としましたので、アメリカン・ポップス伝は“戦後から”と思い、1948-1955のポップ・チャートNO.1ヒットを並べるという構想でしたが、亀渕さんとの“熱風対談”の時に、POPチャート・C&Wチャート・R&Bチャートと3チャートに拡げるアイディアを思いつきました。
 お聞きになっておわかりの通り、どう縮めても3チャートのNO1を50分に収めるには5年間ぐらいが限度で、そこで“戦後から”を諦めて1951年から、としました。(戦後からをムリヤリやるとなると、エルヴィス以前が2回になってしまい、『ハートブレイク・ホテル』に到達したところでオシマイ!でした)
 イザ編集してみると、どう縮めるかという作業は2週間を要してしまいました。
 ・1回の収録は90分以上。
 私の場合、『日本ポップス伝』もそうなのですが、まず大枠だけ決めて、とにかく作ってみるというのがいつもの手法です。今回も“取り敢えず録音してみる”というやり方でしたが、どの回も大体90分ぐらいになりました。トーク部分を30分ほど削り(放送を聞いてみると、“あー、あれも言っていない”“これも言っていない”ということばかりでしたが、これは仕方のないことですね)後は音楽を部分カットして何とか“50分”に収めました。当初は“60分”の予定だったのですが、この“10分”というのは非常に大きかったですね。今回の作業の殆どはこの“50分に押し込める”ことに費やされたので、細かい手直しが出来なかったという悔が残りました。
 ・再放送にリマスター音源使用
 今回はFussaStudioでの番組作りと、久々に“ラジ関時代”の復活となりました。放送用の音源制作はNHKスタジオで何回かに別けて作業をしましたが、本放送されていた週も福生スタジオ用リマスター作りに明け暮れておりました。そこへ4月2日から“再放送”されるという情報が入り(随分早く再放送されるんですね)そこで『再放送用にリマスター音源を使用してもらえないだろうか』とNHK側に“ダメモト”で打診してみたのです。というのは恐らく“前例がない”のひとことで断られると思っておりました。ところが驚いたことに!OKとなったばかりでなく、『HPで再放送用にリマスター音源を使用することを宣伝してもよろしいか?』という返事でした。これにはビックリしましたね、ホント。
 ということで、本放送を聞きながらの“再放送用音源”納入とは相成りました。(繰り返しますが、再放送のために敢えてリマスター音源を作ったのではなく、時間が足りなくて本放送では出来なかったことを修正したまでです)
 ・『谷間の静けさ』 ジョーダネーヤーズ
 エルヴィスにとってジョーダネーヤーズの存在が“特別”であったことは以前から知ってはおりましたが、これほどのものだったと気づいたのは今回の番組を作っている最中のことです。そこでエルヴィスとジョーダネーヤーズとの初対面のコーナーで『谷間の静けさ』をかけたのですが、ジョーダネーヤーズ・オンリーの音源が本放送の収録日に間に合わず、やむを得ずエルヴィスとのデュエット・バージョンを使いました。(ですから“これは後に録音したもの”とコメントをつけました)
 ところが例の“再放送用リマスター”OKとなり、その収録のために再びNHKに向かおうとした時、ジョーダネーヤーズのLPが届いたのです!これは“この音源を使え!”という神の啓示だと受け止めて、即座に音源の差し替えの作業をし(コメントも削除して)渋谷・神南に向かいました。(音源が不満だったのはこの一箇所だけだったので、リマスター使用を許諾してくれたNHKさんには感謝です)
 ・『ラブ・ミー・テンダー』
 《ラブ・ミー・テンダーが“マイ・ハッピネス”だった》というのは、今回の作業中に発見した結論で、始まりが終わり・終わりが始まりという“ナイアガラ双六”的なストーリーになったと、我ながら満足のいく構成になりました。
 SUN時代、あれほどクルーナー唱法の楽曲を録音していたのですが、サム・フィリップスは1曲もリリースしませんでした。RCAヘッドのスティーブ・ショールズは“そこ”に目をつけていて、満を持してこの楽曲を準備していたわけです。(映画はハル・ウオリス、出版社はF・ビエンストックと、やはりサム・フィリップスでは州議員、州知事が限界。大統領になるにはRCA移籍は大正解だったのでしょう。大きな出来事というのは、いろいろな才能が、誰かから指令を受けたかのように、一箇所に集まって起きるんですよね。蛇足ですが、アトランティック・ヘッドのアーメット・アーテガンは、当時の契約額は自分の全財産だったので諦めざるを得なかった、またRCAが実際に出した金額は更に高かった、という“裏取引”をにおわせる発言をしていますが、ここはカットしました。第二部でこれについて更に拡げたテーマで言及する予定です)
 また『ラブ・ミー・テンダー』のコーラスをジョダネーヤーズと言ったかもしれませんが、これは“ケン・ダービー・トリオ”でしたね。スタジオが20THFOXだったので、映画音楽の作曲家・編曲家のケン・ダービーがいつも使っているコーラス用員を集めたものと思われます。(これが8・24の録音。その直後の9月1・2・3の録音にはジョーダネーヤーズをHollywoodに呼んでいます)
 本当の本来の予定では今回“ビートルズ前夜”まで行く予定で、次回を《ブリティッシュ・ポップス伝》にするつもりでしたが、この調子ではいつ英国へ行けるのかは全く予測がつきません。(もっともNHKさんからPT2の確約を頂いたわけでもないんですけどネ)
 P.S.
 業界内友人の連日のレポート提出と、小林信彦さんの“文春コラム”に、感謝申し上げます。励みになりました。

アメリカン・ポップス伝 PT1(2012.03.26-30)